記憶の花2

 記憶の花
 ―少女の話―2







 弾かれたように、少女は走り出した。
 走りながら『自分の欠片の花』を探した。季節などは関係なく、様々な花が咲いている。見た目には、どれがそうとはわからない。
 しかし、彼女にはわかった。花が、自分と引き合っているような気がした。
 ひとつの花に触れる。言葉が、頭に流れ込んできた。

フリージア――未来への期待――

 素早く摘み取って、再び走り出した。
(次は、どこ? 私の欠片!)
 薄紅色の細かい花が、真っ直ぐ先にある。あれだと思った。手を伸ばし、摘み取る。

サクラソウ――希望――

 さらに地面を蹴った。
 少女は、疲れを感じなかった。紛れも無く、今は魂だけの存在なのだと実感する。
 だが、それだけに、脆い。死に包まれれば、すぐにのみこまれる。
 …急がなければ。焦燥が、彼女を駆り立てた。
 一心不乱に、走り、花を探し、摘み取っていく。

アスター――信頼――

マリーゴールド――友情――

コンフリー――努力――

 花を摘むたび、頭の中に言葉が浮かんだ。
 籠の中にも、花が増えていく。何かが構築され、回復していく。そんな感覚。

スズラン――繊細――

 籠の中も、三分の一は埋まってきた。同時に、少女の存在は『生』へと向かっていく。
 次は、次は――。
 伸ばした指先が、花弁に触れた。瞬間、その手を引いてしまう。頭を叩き割られたかと思うほど強い頭痛が駆け抜けた。
 迷ってはいられない。言い聞かせ、再び手を伸ばす。
 これも『私』の一部だと、再認識させられる。

フクロナデシコ――欺瞞――

アジサイ――冷酷――

オキナグサ――背信――

 ひとつのものを構築するのは、良い部分だけではないのだ。
 目を背けたくなるようなところも、たくさん含まれている。
 浮かんでは消える言葉。少女の目から涙がこぼれた。
 思い出す。家族に吐いた、小さな嘘。自分の都合だけ考えて、欺いた友人。胸の奥が、締め付けられるように痛くなった。
「あっ」
 不意に、片脚から力が抜け、前に転んだ。籠と花だけは、腕の中でしっかり守った。
 何に躓いたのだろうと、足元を見る。無彩色が、左足に絡み付いていた。背中に冷たい汗が流れる。
「うそ、なんでっ? …あんなに遠くに見えていたのに!」
 片足と手を使って起き上がり、急いで無彩色から逃げ出した。一度捕まった足には、殆んど力が入らない。転びそうになりながら、少女は走る。
 青年は声をあげた。
「『死』は、時を追うごとに侵食の速さを増していく。…頑張って、もう少しだから。はやく、ここまで来て」
 少女は唇を噛み締めて、必至に走った。『死』はすぐ後ろまできている。花を摘むために立ち止まるたび、何度も捕らえられそうになった。
 つかまるものか、と呟く。生きたいという強い思いがあった。
 花畑の中から呼ぶ声は、もうそれほど多くなくなっていた。

ボリジ――安息――

カンパニュラ――誠実な愛――

カスミソウ――深い思いやり――

 あと、ふたつ。

ニゲラ――不屈の精神――

 あと、ひとつ。
 少女は、階段のすぐ下にその花を見つけた。
 腰を屈めて手を伸ばし、走り抜けざまに花を摘んだ。

ツクシ――向上心――

 少女は上をむいた。青年が、扉の前にたって、見ていた。
 冷酷な目ではない。かといって、温かい目でもない。公平な、裁定者の目で、見ていた。
 階段を昇る。
 片足のつかえない状態で平地を走るより、ずっと辛い。
 掌をつき、膝をつき、這うように、段上を目指した。
 ざわ、と『死』が波打つ。
 花畑は、九割方無彩色に侵食されていた。
 一番早く進撃してきた『死』は、階段の下で躊躇うようにゆれている。
 が、やがてゆっくりと、階段をも飲み込み始めた。
 少女は階段を昇りきり、扉のある踊り場へ立った。
 挑むよう眼差しを、青年へ向ける。
 青年は、少女の摘んできた花々をしばし見つめた。思案するように、顎に手を添える。そして、ひとこと。
「…ひとつ足りない」
「うそだ。だって、ちゃんとみんな摘んだよ。花畑の中に、もう私の欠片はない。私を呼ぶ声は聞こえない」
「そう。花畑中の君の欠片は、すべて拾った。でも、ひとつ足りないんだ。この扉を開けるには」
「なんだよそれっ!」
 少女は青年の肩を掴んで、強く問いただした。
 どうしたらいい。
 どの欠片が足りない。
 それはどこにあるか。
「…君は欠片を拾い集めた。それは、魂の欠片だ。今、君の魂は再びひとつになっている。そして、肉体は此岸にある。…よく考えて。『生きている』って、どういう状態?『生きる』ために、あと、何が必要?」
 青年は少女の肩に手を置いて、ひと言ずつ、言い聞かせた。
 少女は、ただ、青年を見つめた。
「…そんなこと、…」
 わからない、と言おうとして、視線を下に落とす。
花畑は、もう残っていなかった。青かった空も、流れていた川も、ない。無彩色がゆれている。





           
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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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