everlasting -2





 ラグドール・フランツ・リヴァと、クロフス・ヒューイ・ラフォレットが出会ったのは、大学の入学式からひと月あまりが経ったころだった。
 有名音楽家の血縁や、上流階級の令息令嬢が多く通うこの大学に、中流層の出身であるヒューイは、中々馴染めずにいた。
 ヴァイオリンを本格的に始めたのは十五歳の時。比較的スタートの遅かった上に、平凡な才しか持ち合わせなかった彼の実力は、お世辞にも優れているとは言えなかった。二年遅れてでも大学に入学できたことを、よほど運がよかったのだろうと、本人も自覚していた。
 育った環境でも、ヴァイオリンの技量でも、ヒューイは孤独だった。
 せめて、演奏の腕前だけでも引けを取らないようになりたい。
 使用されていない旧音楽室で、ヒューイは一人で練習に明け暮れた。講義や実習の空き時間も、同輩達の話の輪に加わることもなく、ひたすらに安物のヴァイオリンを弾き続けた。
 そんなある日。ヒューイがいつものように旧音楽室の前に来ると、中からピアノの音が聞こえてきた。
 曲目は、学生たちの練習用課題曲としてもよくつかわれる、「夜想曲」。
 それほど難しいものではない。弾き手も、技巧を凝らしたりせず、素直に弾いていた。
 しかし、夜風が通り抜けるかのように、美しい流れを描いて、曲は奏でられていく。
 ヒューイはたった一度で、この旋律に魅せられた。曲にではなく、その弾き手に。
 曲が終わるのを待ち、はやる鼓動をなだめながら、ヒューイは旧音楽室に入った。
 埃っぽい部屋の中、長い間触れられずにいたことで、多少調律が狂ってしまったピアノの前に、彼はいた。
 鳶色の髪に緑の瞳をした、どこか儚げな雰囲気を持つ細身の青年。
 大学内だけではなく、クラシック音楽界でもすでに注目を集め始めていたその青年を、ヒューイは初めて間近で見た。
『…あんた、ラグドール・フランツ・リヴァか……?』
 不躾な初対面の挨拶にも、フランツは少しだけ驚いたように目を見開き、その後すぐに微笑んだ。
『そう、俺がラグドール・フランツ・リヴァ』
『なんで、こんなところに』
『うん、ちょっとね。……この部屋から、よくヴァイオリンの音が聞こえるから、誰が弾いているのか気になって、待っていたんだ』
 今までも何度か待ち伏せてみたが、一度も逢う事が出来なかったのだと、フランツは言った。
 ヒューイは、持っていたヴァイオリンケースの取っ手を、無意識に強く握りしめていた。
 フランツの前では、自分の演奏など素人も同然だろう。それを知らないうちに聞かれてしまっていた。聞くに堪えないから、もう演奏するなと言われるかもしれない。それが、ヒューイには恐ろしかった。
『…あなたが、ここのヴァイオリンの人?』
 ぎしぎしときしむ首をなんとか動かして、ヒューイは頷く。
『名前と学年、訊いてもいい?』
『……管弦打楽科一年、クロフス・ヒューイ・ラフォレット』
『じゃあ、ヒューイだ。科は違うけれど、同級生なんだね。よろしく、ヒューイ。俺の事は、フランツでいいよ』
 そう言いながら、フランツはまたピアノを弾き始めた。
 ヒューイもよく知っている、パッヘルベルのカノンだ。カノンの中では、もっとも有名だと言ってもいい。
『弾いて、ヒューイ』
 予想とは裏腹の言葉が、ヒューイに振りかけられた。フランツを見ても、微笑んだまま演奏を続けているだけだ。
 彼は戸惑いながらも、ケースからヴァイオリンと弓を取り出して構えた。タイミングを見計らって、弓を弦に滑らせる。あとはとにかく、今出来る最高の演奏を、必死になってしていくしかなかった。
 フランツは満足げに微笑むと、視線を鍵盤に向けた。


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 スケジュールの合う限り、ヒューイとフランツは旧音楽室で共に過ごした。
 他愛もない話をすることもあったし、自分の将来や音楽に対する考え方について、真剣に話し合うこともあった。
 何よりも、お互い手や腕が痛くなるまで、演奏を繰り返した。
 楽譜に忠実に弾こうとするヒューイと、気の向くまま奔放に弾くフランツと。正反対の二人だったが、演奏は決して不調和にはならなかった。
 そうして時間が経つうちに、いつの間にか二人の周りには、仲間が集まっていく。
 ヴァイオリンとピアノだけだった演奏に、その仲間の数だけ楽器が増え、音色が増えた。
 ヒューイは、孤独ではなくなっていた。
 旧音楽室には、いつも演奏仲間がいる。それ以外の場所でも、次第に実力をつけていく彼に一目置き、そこから友人になっていくものもいた。
 ただ必死に努力をして、やっと周りに付いていけていた音楽を、ヒューイは楽しみながら出来るようになっていった。



 ある日、ヒューイが旧音楽室に行くと、フランツがただ一人で譜面と向き合っていた。
 フランツが楽譜を手にしているところを見るのは初めてで、てっきり楽譜無しでどんな曲も演奏できると思っていたヒューイは、かなり驚いた。
『フランツでも、楽譜を見ることがあるんだな』
 思わずそう口に出してしまったヒューイに、フランツは見慣れた微笑みを向けた。
『これ? これは、作成中の曲』
『……作曲も、してるのか?』
『え、言い忘れてた…かな。もう何曲か書いていて、CDに収録されているものもあるんだけれど』
 ヒューイはいつも一緒だから、てっきりもう知っているものだと思っていたと、フランツは言う。
ヒューイは、それを嬉しく思った。それほど自分は、フランツに近しいところにいるのだと実感できたからだ。
『今作っているのは、どんな曲だ?』
『ピアノとヴァイオリンの協奏曲。タイトルは未定だけど、曲のイメージは出来てる』
『ふーん?』
 何気なく、ヒューイは半分白紙の譜面に手を伸ばす。その手が届く前に、フランツは譜面を取り上げた。
『まだ、だめ。完成したら見せるよ』
 そう言って、フランツはほんの少し悪戯っぽく笑った。
『さあ、弾いてヒューイ』
『ああ』
 いつもの演奏が、また響き始めた。
 




           
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