everlasting




 ラグドール・フランツ・リヴァが死んだ。
 その知らせは、クラシック音楽界を黒い稲妻のごとく駆け抜けた。
 千年に一人の逸材。天上の奏者。世界中から注目を集める天才ピアニストであった彼の死は、弱冠二十四歳という若すぎるものだった。
 多くのものが、その急な死を悼んだ。
 一部のものは、目障りな奴がいなくなったと喜んだ。
 そしてただ一人、クロフス・ヒューイ・ラフォレットだけは、突然世界から消えた彼を、憎んでいた――。


     +++


 夕暮れ時の墓地に、十七時を知らせる鐘の音が、静かに舞う粉雪の間をすり抜けて、遠くから響いている。
 その音色は今、クロフス・ヒューイ・ラフォレットには、葬送の鐘のようにしか聞こえていなかった。
 彼は、目の前にある真新しい墓を、安っぽい玩具でも見るような目で見下ろしていた。墓を埋めつくさんばかりの花々やメッセージカード、それに大量の楽譜で彩られていなければ、その墓が現実のものだと、誰が思えるだろうか。

 ――ラグドール・フランツ・リヴァ

 理解することを放棄しかけたヒューイの思考を押し開くように、墓石はその身に刻まれた名前を突きつける。
 ヒューイは堪え切れなくなり、きつく目を閉じた。
「ヒューイ」
 彼は自分を呼ぶ声を聞きとめ、緩慢に振り返った。
 見覚えのある男が歩いてくる。音楽大学時代の同級生だったことと、名をチェコフと言ったことを、ヒューイはすぐに思い出した。
 ヒューイは、黒い革手袋をはめた手をあげて、久しぶりに顔を合わせた友人に挨拶をした。
「やあ、チェコ。大学卒業以来だな。いつこの町に戻ってきたんだ?」
「ああ、ほんと久し振りだよヒューイ。僕は今朝着いたばかりで、一週間したらまた帰らなきゃいけないんだ」
「そうだったのか」
 相槌をうち、ヒューイは小さく息をつく。
 チェコフはわずかに俯いた。
 大学を卒業してから、もうすぐ三年。
 卒業後すぐにチェコフは隣領へ引っ越し、そこの楽団で、ティンパニー奏者として活動を始めた。以来、ヒューイと彼は会っていない。彼の他にも、町を出ていった同級生は何人もいた。フランツやヒューイのように残っている人数の方が少ない。
 懐かしさと嬉しさに笑顔がこぼれるはずの再会は、しかし、どちらの顔にも明るさは見えなかった。
 ヒューイは眉をよせ、口の端を持ち上げただけの苦しげな笑みを作った。
「……皮肉なもんだな。久々に皆集まるのが、仲間の死がきっかけだなんて」
「他のやつも何人か、これから来るって連絡貰ってる。クロウとフィナはもう着いてて、駅近くのホテルに居るよ」
「そうか」
 ヒューイが短く返したきり、二人はしばらく無言になった。
 日が落ちて暗くなった中で、墓標と舞い落ちてくる雪だけが、ぼんやりと浮かぶ。
 耳に痛いほどの静寂。時が止まっているかのようだった。
 チェコフは思い切って、声をあげた。
「あのさヒューイ。こんな時に、不謹慎かもしれないけれど……同窓会をしようって話が、出てるんだ」
「…同窓会?」
「うん、学生時代につるんでたメンバーでさ。明日の、午後四時から……大学の旧音楽室で。教授に手引きしてもらって、なんとか借りられた」
 ヒューイは、体が強張るのを感じた。
 無意識に握った拳の中で、手のひらに指が食い込む。
「えっと…、フランツと一番親しかったのは君だから、その、気持ちの整理がついたら…とか……、無理にじゃなくてもいいんだけど……できたら、来てほしい。皆会いたがってるしさ」
「――ああ…、行くよ」
 気づくと、その台詞が口から滑り落ちていた。そのことに、ヒューイ自身が驚いた。
「よかった! じゃあ君が来られること、みんなにも連絡しておくよ」
 チェコフに喜ばれ、言葉を継ぐ機会を逸したヒューイは、そのまま黙った。
 大学の、旧音楽室。
 時間とともに風化していく学生時代の記憶のなかで、そこだけが曖昧になっていかない。


『あのね、ヒューイ。俺は、君と弾きたいんだ。だから――』


 ヒューイの脳裏を、亡き親友の姿が過る。
「……フランツ」
 何故、こんなにも早く逝った。
 ともに演奏したいと言った、自分に何も告げないで。
 そう問う言葉は声にはならず、白い吐息は、空気をにごすだけだった。





           
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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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