EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -9






 時間を与えたのは。

 忘れられる痛みと、忘れてしまう悲しさを。

 これ以上、引きずらせたくなかったから。




          ◇◆◇




 ロッドが街に来て、半年ほどが経つ。
 季節は冬へと移り、常緑でない植物は葉を落とし、街に緑が少なくなった。
 日が落ち、すでに空は暗い。星や月も、雲に隠れてしまっている。
 どことなく、湿気を含んだような風が吹く。
 窓が、咎めるように、かたかたと鳴いた。
 
 雨が降るかもしれない。
 そう考えながら、ロッドは、鍋の中で煮えるシチューを少し掬い、味見をする。
「初めてにしては、上出来ですかね」
 二時間ほど前に「たまには貴方が食事を作ってみない?」とリアに言われ、大いに戸惑ったロッドであったが、どうにかなったようである。
 そのリアは、余りものの布と裁縫道具をテーブルの上に広げ、なにやら懸命に作業をしていた。
「リア、シチューができましたよ。夕飯にしましょう」
「ん、待って。あと一つだけ、作っちゃうから…」
 そう言うと、彼女は手にしていた布から、手のひらほどの大きさの正方形をひとつ裁断する。
 出来た正方形の中央あたりに丸めた綿をあてて包み、その包んだ下の部分を、毛糸できつく縛る。
 上は球形で、毛糸で括ったところより下はスカートのように広がっている。
 奇妙な形をした人形だった。
 ロッドは、小さなバスケットの中に入っている完成品と思しきものを、興味深げに見つめた。
「面白い形をした人形ですね」
「てるてるぼうずっていう名前なの。昔からね、これを窓辺とかに吊るしてお祈りすると、お天気が自分の好きなように変わるっていう言い伝えがあるのよ」
「この時期は、どうせなら晴れて欲しいところです。そうでないと、洗濯物が乾いてくれません」
 ロッドの台詞に、リアは思わず苦笑してしまう。
「なーんか、ずいぶん庶民的になっちゃったわねぇ。知識の塊みたいな夢幻図書館長さんなのに」
「さすがに半年も経ちますし」
「月日が経つのは、恐ろしいわ。――よし、できたっ」
 頭の形を整えてやってから、リアは人形を仲間のところへ入れた。全部で九個だ。
 なんとなく数を確認していると、昔の事が頭を過ぎった。
 前も、てるてるぼうずをいくつも作って、天に願っていたことがあったのだ。
 願いは叶う事もあったし、叶わないこともあった。
 絶対叶って欲しかった最後の一度が叶えられなかった時は、辛くて悲しくて、胸が締め付けられるように痛んだのを憶えている。
 てるてるぼうずから、リアは視線を逸らす。
 いつまでも、過去の感傷に浸っているわけにはいかない。
 言い聞かせて、彼女は裁縫道具や布を片付けはじめた。

 窓が、カタリと鳴る。
 静かだった外から、淡くざわめきを溶かしたような音が聞こえ出す。
 音は、俄かに大きくなった。
 その音に支配されたように、ロッドとリアは、一瞬動きを止め、息を詰めた。

「…雨音?」

 ロッドが呟く。
 同時に、リアは素早く席を立ち、駆け出した。
「リア!?」
 呼び声と、玄関の戸を開く音が重なる。雨音が、家中に満ちる。リアが外に出たのだ。
 妙な胸騒ぎを覚えたロッドは、シチューの火を止め、リアの後を追った。




 リアは庭に出た。
 冷たい雨粒が、温かい家の中から出てきた彼女から、容赦なく体温を奪う。
 しかしリアには、その冷たさを感じる余裕がなかった。
 顔に滑り落ちてくる雨粒を、何度も手の甲で拭う。
 首や体の向きを変え、この場所から見える世界すべてを、目に映そうとした。
 暗い空の下、黒く見える雨に濡れながら、彼女は必死に探しものをしているのだ。
「せっかく、雨が降ってるのに…!」
 雨が降らなければ、その探しものはみつからない。
 が、降っても、必ず見つかるとは限らない。
 それでもリアは、それを探し求めていた。








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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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