EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -10






 見つけたら、その探しもののある場所へ、絶対に行かなければと思った。

「リア、何をしているのです? 傘ぐらいさしてくださいよ…っ」

 傘を片手に飛び出したロッドは、末端まで冷え切ったリアの手を掴み、家の中に引き戻そうとする。
 リアは、ロッドの手を強く振り払って、叫んだ。
「雨の日じゃないと、見つけられないの。お願い、探させて!」
 リアの必死な様子では、探すために街の外まで出て行きかねない。
 これから気温も下がってくる。今降っている雨も、いつ氷雨や雪に変わってもおかしくない。
 リアもそれはわかっているはずだった。
 それを忘れてしまうほどに、リアは何かを強く欲している。まずい、とロッドは直感で思った。
 今にも走り出しそうな彼女の肩を、両手でしっかりと掴む。傘が地面に落ちた。
「リア、行ってはいけません! 雨の日は、なにも今日だけではない!」
「でも、今日でないといけないかもしれないわ」
「だからって、この時期と時間では危険すぎます。いいから、家の中へ」
 リアは抵抗したが、ロッドは力に任せて彼女を家に引き込む。
 この時ばかりは、本などを運ぶ際ついた己の筋力に感謝した。


 
 リアが落ち着きを取り戻したのは、家の中に引き戻されてから、少し立ってからだった。
 暖炉前の椅子に座る彼女は、ほとんど喋らず、また微動だにしない。
 ロッドが着替えるように言っても、温かい飲み物を差し出しても、一切の反応はなかった。
 静かなすすり泣きが聞こえなければ、死人と間違いそうなほどである。
 ロッドは、濡れてしまったリアの髪をタオルで拭いながら、彼女の様子を窺った。
 血の気はあるが、この状態では、夕飯も受け付けないだろう。
「…リア、寒くないですか?」
 答えは返ってこない。
 探しにいけなかった事が、リアの心を塞いでしまっていた。
 ロッドは、抜け殻のようになった彼女にかける言葉を探すうち、ふと気付いた。
「なにを…、探しに行きたかったのですか?」
 それを、訊いていなかったのだ。
 訊ねられたリアの肩が、小さく震える。吐息のような声が、唇からもれた。

「…にじを」
「虹?」
「…虹を、探しているの…」

 緑の瞳がぎこちなく動き、ロッドを映した。涙が一粒、頬を滑る。
 普段の活力あふれるリアは、そこにはいない。彼女が今漂わせるのは、いつ消えてしまってもおかしくないほどの、儚さだった。
 ロッドは戸惑いを隠せなかった。半年間一緒にいたが、彼は今のようなリアを一度も見ていない。
 リアの手が伸ばされ、ロッドの頬に触れる。唇が、もう一度動いた。
「そこで待ってるって、言ったから…」
 それきり、リアの手は力を失い、ぱたりと落ちた。
 ロッドは、全身の血の気が下がるような感覚にとらわれた。
「リア!? しっかり――」
「寒い」
「え?」
 途端、リアがすっくと立ち上がった。
「寒い寒いー! なんで私ってば着がえないままでいたのかしら?」
 暖炉の前で腕をさすりながら、リアは寒い寒いと言い続ける。
 さきほどまでの儚げな雰囲気はどこへやら、彼女はロッドの知っているリアだった。
 ロッドは安堵すると同時に、彼女のあまりの豹変振りに絶句した。二重人格者ではないかと、思わず疑いたくなる。
「ロッド! 着替えてくるからちょっと待ってて!」
「もう大丈夫なのですか?」
「このままのほうが大丈夫じゃなくなるわ!」
 リアが、自分の部屋へ駆け込んでいった。
 ロッドは一人キッチンに残り、シチューを再び温め、食器やグリーンサラダやパンなどを、テーブルの上に準備していく。
 リアの常ならぬ行動や表情が、気にかかっていた。
 虹を探していると、彼女は言った。
 そこで「待っている」とも。
 いったい虹のある場所で、何が、誰が、待っているというのだろうか。
 その待っているものが、彼女をあそこまで必死にさせたのだろうか。
「…っ」
 心の奥底が、つきりと痛んだ気がした。
 まだ聞こえてくる雨の音に、ロッドは苛立ちを覚えていた。








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