EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -8






 忘れてはいけない事と、忘れられない想いがある。

 それが、お前を苦しめると知っていても。

 私には、何も出来ないんだ。




          ◆◇◆



 
 雨音が耳に響いてくる。
 それに呼吸音が掻き消されて、ランダは、弟の呼吸が止まってしまったのではないかと、時々ひやりとさせられた。
 ロッドに目覚める気配はまったくない。
 ランダは、重い息を、ゆっくりと吐き出した。
 ロッドが眠りに落ちてから、随分と永い時が経ったように、彼女は感じていた。
 時計の秒針が、いやに目に付く。
 時間とは、こんなにも重く圧し掛かるものだっただろうか。
 仮に、今ロッドが目覚めたなら、そう問いたい。
 『レムリア』は、タイトルが現れてからは、変化を見せていなかった。ずっと、淡い光を発し続けている。
 ロッドが眠っている事と、この本の異常が関係していると、ランダは考えていた。
 不可思議な本に手を伸ばす。
 しかし触れようとした途端、本から火花のようなものが散り、ランダの手は弾き返された。
 はめていた薄い手袋は破け、指先から手のひらにかけてが露出する。
 
 ロッド以外は触れてはならない。
 本がそう言って、拒絶しているようだった。

 ランダは眉を顰めた。
 自分には、どうすることも出来ない。ただ、弟が目覚めるのを待つだけだった。
 彼女の頭の奥で、ロッドの叫ぶ声がよみがえり、こだました。



『姉さん、僕はどうしても、彼女のところへ行きたいのです…!』
 もう、時間がない、今日で終わりかもれない。
 だから、止めないでほしい。
 見逃してほしい。ロッドは涙を流し、声を嗄らしてまで叫んだ。
 その時ランダは、つかまえていた弟の腕を、そっと放してやった。

 そして、次の日の日暮れ頃、ロッドはずぶ濡れで帰ってきた。
 彼は着がえを済ませると、何事もなかったかのように、仕事を再開した。
 しかし、水で流れ落ちてしまったかのように、彼からは表情が消えていた。
 ランダはどうしたのかと訊ねた。返ってきた答えは、たった一言だった。

『…もう、すべて終わりました』
 拭き取り損ねた雫か、また涙か。
 それが一滴落ち、ロッドの手の甲ではじけた。



 何年も、何十年も、もしかしたら何百年も前のことかもしれない。
 行かなくてはならない、ではなく、行きたい。
 館長職に従事していたロッドが、情にまかせた我が侭を、心の底から言った瞬間だった。
 そして、絶望を味わった時でもあった。
 あの時の悲痛な響きが、ランダの耳の奥に焼きついている。

「…レムリア、弟を連れて行かないでくれ」

 懇願するように、ランダは言う。
 本を包む光が、少しだけ明るさを増した。








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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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