EDEN ~その雨の向こうがわ~
その雨のむこうがわ -7
女性達の噂で構成されるロッド像と、営業用でないロッドの両方を知っているリアは、そのギャップを楽しんでいた。
「大人気ねぇ、微笑の貴公子さん」
「なんですか、その妙な呼び方!」
ロッドが情けない声を上げた。
「あら、知らないの? おばさん達が、貴方のことをそう呼んでいるのよ。ちなみに若年層では、月の王子様ですって」
「止めてくださいよ、そんなどこぞの魔術師みたいな異称は。僕の本業は図書館司書なのですからっ」
「それは、噂を流している本人たちに言ってね。かるく二百人はいると思うけれど」
ロッドはそれを考え、頭を抱えた。
彼自身、自分の存在はあまり広く知られてほしくないと思っていた。
無限博物館、夢幻図書館、その館長を務めるランダとロッドの姉弟の存在は、神々でさえ知らされていないものがいる。
世界の何処かに、人や物を完璧に記憶する機関があると知れたら、生ける者たちが、自分で記憶に留める事の大切さを見失うのではないか。そう、最高神が危惧しての事だった。
胸に手を当てて、きつく握る。
三ヶ月近くたった今、すぐに図書館に戻らなくても大丈夫だろうという余裕は、彼の頭から消えていた。
「なーに暗い顔してるのよ。いい男が台無しよ」
「…いえ、なんでもありませんよ」
「うそ」
無理に笑ったロッドの鼻先に、リアが人差し指を突きつける。
「図書館に戻らなくちゃ、とか思ってるでしょ? 方法がわからなくて、気持ちだけ焦っているんだわ」
「…どうして貴女は、そうやって僕の退路を塞ぐのですか」
ロッドは、どこか泣きそうに言った。
リアもまた、泣くのを我慢しているように、唇を噛んだ。
「言ったわよね、一緒に居たいって」
その言葉が、ロッドの胸の内に、波紋を広げる。まるで、静かな水面に落ちた、一滴の露のように。
――一緒に、いたかった。
耳の奥で、響く声がある。
(…だ、れ…?)
リアと重なる、貴女は。
とらえようとすると、すぐに遠のく。それは、誘いのようでもあった。
わずかな耳鳴りがしたが、それも一呼吸の間に消える。
ロッドは頭を振ると、リアと視線を合わせた。
彼女が、目を逸らして話すのを嫌うのだ。
「…どうせなら、一年くらいこの街にいて。戻る方法が分からないんじゃ、急いだって仕方ないもの。案外、時期が来たら、戻れるようになるってこともありえるわ」
「……そう、だといいのですけれどねぇ」
明快なリアの性格が、今のロッドには救いに思えた。
「それじゃ取りあえず、荷物を中に運んでおいてね。くれた人たちに、そのうちお礼をしに行かなきゃ。花の水遣りが終わったら、午後のティータイムにするわ」
「はい。お湯を沸かしておきますね」
「お願いねー」
ロッドが、紙袋に詰めなおした荷物を抱えて、家の中に入っていく。
その背中を見送ってから、リアはもう一度、空を見た。青一色の中に、太陽があるだけだった。
「…大丈夫よ、きっと」
消え入りそうなほど小さく、呟く。
それは誰に向けるものではなく、自分に言い聞かせるための言葉だった。
「まだ、時間は残っているもの」
風が吹き、草木や花をゆする。
リアの見つめた先で、鳥が一羽舞い上がり、空にとけていった。
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背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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