EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -4






 商店の多い街道付近を抜けると、緑がいたるところに残る住宅街に入り込む。
 レンガ造りの小ぢんまりとした家々が、それぞれ柵一枚を隔てて、ひしめき合っている。
 街の外から見えた大きな家は、ある程度裕福な家庭のものだったようだ。
 住宅街の、やや奥まったところに、リアの家はあった。
 ひとり暮らしということで、他の家よりも一回り小さい。
 敷地を囲む木製の柵添いにバーベナが植えられ、狭い庭にも何種類かの花が咲いており、精一杯の彩りを持たせている。
 数こそ多くはないが、一輪一輪が美しく己を誇っているようだ。
「手入れが、よく行き届いていますね」
 リアが玄関の戸を開けるのを待つ間、ロッドは花々を見、素直に感嘆の声を漏らす。
「貴方と違って、私の人生短いんだもの。 色々なことを、頑張ってみたいと思うのよね。――さあ、入って」
「お邪魔します」
 天上に頭をぶつけそうになりつつ、ロッドは玄関の戸をくぐった。


「パンが六本、ストロベリージャムにママレード、ベーコン八枚、卵が十個、リンゴが三つ、レタス一つと玉ねぎ二個、パプリカが四個、レモンも二個、木ベラが一つ、サラダボールが一つ、コースターは二枚で…」
 買ってきたものを、キッチンのテーブル一杯に広げ、リアはそれらの品や数に過不足がないか確認していく。
 品目は軽く二十を越える。
 傍で聞いていたロッドは、途中から覚えることを放棄した。
 彼は、本に関してはずば抜けた記憶力を発揮するが、それ以外に関しては人並みだった。
 そんな彼を尻目に、リアは満足げに笑う。
「よし、全部大丈夫ね!」
「…あの、リア。一人分にしては、やたらと多くありませんか? 少なく見積もっても、二人分ですよ」
 リアが、ロッドを見て目を丸くする。
「え、だって、二人分よ」
「は…?」
 今度は、ロッドが目を丸くした。
「私と貴方で、二人。間違ってないでしょ。今日から二人で暮らすんだもの」
「え、ちょっと…ええっ!?」
 もはや、目を丸くするどころか、目を剥いても足りない。
「リア、そんな事いつ決めたんです? 僕には憶えありませんよ! 図書館で逢って、気付いたら貴女の故郷に来ていて、街を案内して貰う間に色々話しましたけれど、一緒に暮らすなんて」
「私が決めたの。ロッドと、少しでもながく、一緒に居たいんだもの」
「そんな、勝手に。第一、僕にその気はありませんよ」
「じゃあ、どこか泊るところあるの? 宿屋にしても、ながく滞在するならお金がかかるわ。図書館に戻る方法も、実のところわかっていないでしょ」
「……」
 ロッドは、黙るよりほかなかった。すべて図星だ。
 リアが、縋るようにロッドの手を握る。
 ロッドは、振り払う事をしなかった。そう出来る状況では、なかったのだ。
「…まったく、敵いませんね」
 ロッドは観念して、溜息とともに呟く。
「いいのね」
「僕に選択権はないみたいですから。…しばらく、厄介になります」
「ありがとう、ロッド!」
 リアは、文字通り飛び上がって喜んだ。無邪気な仕草は、彼女を実年齢よりも幼く見せる。
「じゃあさっそく、お昼ご飯の準備ね。何かリクエストを言って」
「いきなりですか」
「まずいものは作らないから、心配しないで。料理は好きなのよ」
 にこりと笑うリアに、ロッドもつられて笑顔になった。
「では、ポトフをお願いできます?」
「十八番よ。任せといて」
 テーブルの上から必要な材料を拾い上げ、リアはすぐさま調理に取りかかる。
 まずいものは作らないという言葉どおり、その手つき手順は危なげない。十五分もすれば、コンソメスープの香りがただよってくるだろう。
 ロッドはその間に、テーブルに広げた品々を種類別に分け、場所のわかるものは先に収納してしまう。
 食べもの関係は、キッチンの中を見渡せば、おおかた仕舞う場所が見つかった。
 最後にジャムを棚に収めてから、ロッドは、楽しそうに料理をするリアを、肩越しに振り返った。
 途端、瞼の裏でなにかが揺れる。
「……?」
 揺れたもののなかで、彼が見て取れたのは、女性の横顔だった。
 リアと似ているような気がしたが、それはほんの一瞬で消え去り、確認する事は敵わなかった。
 本の挿絵で、見たのだろうか。顔立ちの似ている者は、永い歴史の中では何人も出てくるものだ。
 しかし、それにしてはあまりにも鮮烈であるような気もする。
 ロッドの眉に皺が寄る。
 色々な事が起こりすぎた。
 落ち着いて考え、思考を整理する時間が必要だった。
「ロッド、紅茶煎れて。棚の、一番上の段に入っているわ。種類はセイロンにしてね」
 声がかかったので、ロッドは、今はそれ以上考える事を止めた。






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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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