EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -34







 ロッドはまず手紙のようなものの、署名のところを見て、目を剥いて固まる。
 事の始終を静かに見守っていたランダも、ロッドの手の中にあるものの書面を読み、さすがに驚いた。

「…我が君から、任命状か」

 そこには、レムリアを夢幻図書館の職員として配属する旨がしたためられていた。
 長い寿命を手にしたレムリアには、人間の世界で平穏に暮らすことは難しい。
 限られたものにしか存在を知られていない無限博物館と夢幻図書館は、彼女が生きていく絶好の舞台だと、最高神は考えたのだ。図書館に配属したことは、彼のささやかな気まぐれだった。

「よかったじゃないか、ロッド」

 ぽんと、ランダは弟の肩を叩く。
 しかしロッドは固まったままだった。よほど衝撃が大きかったのだろう。
 ランダは、仕方のないやつだと言わんばかりに、小さく肩をすくめた。
 それから、任命状の下に隠れている本を、ロッドの手からそっと取りあげる。
 それは、深緑色のカバーに、金色でタイトルが刻まれている。
 表紙には、雨上がりで雲の残る空の下、虹を見上げる女性の姿があった。

『レムリア ~虹の章~』

 他の蔵書よりもかなり薄く、指一本分程度の厚さの本は、物語の綴られた年月の短さを象徴している。
 どんなに詳しく日々を描き、登場人物の心の機微を表していても、その厚さでは精々一年分だ。
 その年月が何であるか。
 すぐに悟ったランダは、面白がるような、それでいて見守るように温かい笑みを、その面(おもて)にのせた。
 ぱらりと本を開く。
 開いたところに、写真が挟まっているのを見つけ、ランダは何気なくそれを手に取った。
 誰の写真であるか確認し、物語中に描写された一場面を見て、彼女は納得する。

「ほう…、なかなかよく撮れている」
「…え」

 わざとらしく声を上げると、そこでようやくロッドが反応を見せた。
 ランダは彼に向かって、その写真を提示する。

「その写真…! あっ、ちょっと返してください!」
 慌てて手を伸ばしてきたロッドを、彼女は軽やかに避けていき、にやりと口の端をつりあげた。

「嫌だね。写真は図書ではないから、私のほうで大切に保管させてもらう。
 そうだな…、無限博物館の入り口にでも飾っておこうか?」

「この世界が終わろうとも、断固拒否です!
 写真でも僕の管轄に入ってきた以上は、夢幻図書館で管理します! 早く返して下さいっ」

「ああ、待て待て。可愛いお嬢さんの前なんだ。姉弟喧嘩は止そうじゃないか」

 いつかも言ったような台詞を、ランダは言う。
 ロッドは、跳びかかってでも取り返したいのを、必死に抑えた。
 レムリアを引き合いに出されると強く出られないことを姉に知られているのは、彼にとって結構な痛手だ。

「…姉さんの手には渡しません」

 低くうなるロッドに、ランダが思わず苦笑する。

「わかった。では、どうするかはレムリアに決めてもらおうじゃないか。
 これは、彼女の物語にかかわるものだ。それが道理だろう?」

「……、…いいでしょう」

 かなり渋った後、ロッドは了解した。
 ランダは、写真を本にはさみ直し、レムリアに手渡した。
 レムリアは、夢幻になるはずだった一年を記録した本を、じっと見つめる。
 虹をひとり見上げる自分が、表紙にいる。
 それを、「待っている」のだと、彼女は思った。

「さあ、レムリア」
「うん」

 レムリアは、本を開いて、写真を手にとった。

 そこに映りこむのは、彼女と、ロッドと、忘れないようにとまじないを掛けたワスレナグサ。
 それと、どこまでも青く澄んだ、晴天。
 かつて、雨が降り、虹の出た日にしか会えなかったレムリアとロッドにとって、それは奇跡の象徴にも等しい。








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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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