EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -34







 
「ロッド、来館者だ!」

 奥に入らずにいたランダから、声がかかった。
 ロッドははっとして、現実へ立ち返る。彼を捕らえそうだった過去が、ランダの声で退いていった。
 彼は本を抱えたまま、呼ばれたほうへと急いだ。
 動揺が鎮まらなかったが、来館者の対応をしないわけにはいかない。

「ようこそ、夢幻図書館へ」

 ロッドは、ランダと並んで立っていた人影へむけ、優雅に礼をとる。
 相手が誰かと確認する余裕は、今の彼には無かった。
 視線の落ちた先で、スカートの裾と、細い足首が目に入った。
「僕はこの図書館長で、ロッドと言います。よろしければ、貴女のお名前を――」


「レムリアよ」


 その瞬間、ロッドは息をする事も忘れた。跳ね上がって拍動を早めた心臓の音が、どくどくと耳に響いてくる。

 ――その本のタイトルは、『レムリア』よ

 その刹那に、心音すらも打ち消して、耳の奥に蘇えるその声は。
「……レムリア…?」
 ロッドは、信じられない思いで、目の前にいる来館者を、ようやく認識する。
 若草色のワンピースを着て現れた、栗色の髪をもった女性の名は、レムリア。
 その顔立ちは、ロッドの記憶の中にあるものと、寸分変わらない。

「どうして…今、貴女がここに…?」

 訊ねる声が、震える。
 最高神との契約の代償に、レムリアは「生まれ変わること」を差し出した。
 彼女の魂は、先に待ついくつもの生涯とその時間を失い、消滅するはずだったのだ。
 にもかかわらず、彼女はロッドの前にいる。
 ロッドには、その経緯がまったくわからなかった。
 対するレムリアは、嬉しそうに微笑むばかりだ。

「ロッド、私が消えちゃった時、神様と契約したでしょ?」
「いえ…。申しいれはしましたが、対価を要求されなくて…結局、契約は失敗に…」
「失敗なんかしてないわ」

 虚を衝かれて、ロッドは目を丸くする。

「貴方、私に虹の話をしてくれた時に言ったじゃない。
 『たまに気まぐれ起こして、対価無しで望みをかなえてくれることもありますけれどね』って」

「あー…、言い…ましたね。確かに」

 言ったが、その確率は本当に低く、万が一にあるかないかというくらいだ。
 レムリアが消えてしまう時も、すっかり可能性外においやって、あの時出た虹は空間移動のためだとばかり思っていた。
 しかし、違っていたようだ。

「神様は、気まぐれを起こしてくれたのよ。
 …私は生まれ変われなくなって、あの一年を最後に消える予定だった。
 けれど、ロッドがお願いをしてくれたから、私は生まれ変われなくなるだけで済んだわ。
 そして、別の生涯で過ごすはずの時間が、今の私に引き継がれたの」

「…そうだったのですか」

 事実を知っても、ロッドはただ頷くことしか出来なかった。
 二度と会えないと思っていた人が、今度は長い寿命を得て、再び現れたことが、俄かには信じられなかった。
 そして彼は唐突に思った。
 奇跡とは、神の気まぐれが良い方向に作用したときの呼び名だと。
 ロッドは心の中で、己を生み出した最高神に感謝した。
 すると、自然と穏やかな気持ちになり、言葉が素直に口を出る。

「レムリア」
「うん?」
「…ずっと、会いたいと思っていました」

 レムリアはロッドを見て、目を瞬かせる。彼がこのような言葉を言うとは、思っていなかったのだ。
 だが、嬉しい事には変わりない。
 彼女は感情にまかせて、ロッドに抱きついた。
「私も、会いたかったわ」
 ロッドの腕が、レムリアの肩をそっと抱く。
 こうして触れ合った事は、過去の一度もなかったかもしれないと、二人はお互いに思った。

「あ、それとね」

 レムリアは思い出したように、持っていた手提げの中を探り出す。
 取り出したのは、一冊の本と、手紙のようなものだ。

「はい」

 彼女はそれを喜々とした様子で、ロッドに手渡した。









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