EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -29







「…僕がこの場所に来たのは、既に日が落ち、貴女が息を引きとったあとでした。
 どうしてもっと早く、行く事が出来なかったのか。どうして死の瞬間、共にいられなかったのか。
 …僕はその時、生きてきた中で、一番悔しくて、悲しかった。
 そして冷たくなった貴女を抱かかえて、思いました。『こんなに辛いなら、心なんていらない』と。
 それから後も、貴女を思い出すたびにどうしようもなく苦しくなって、その苦痛から逃れたくて、
 ……『忘れてしまいたい』と思うようになったのです」
 
 ロッドは、自嘲気味の笑みを浮かべた。自分のことを告白しながら、その情けなさに呆れてしまう。

「貴女がいなくなってしまったことを認めたくなくて、それがいつの間にか、
 貴女自身を忘れる事になってしまった。
 …僕のせいなのですよ。弱くて、逃げてばかりいた、僕の」

「……っ」

 レムリアは耐えられずに、ロッドにすがり付いていた。
 彼の心の軋む音が、いやというほど聞こえてくる気がした。
 ロッドが腕を一度解き、やさしく彼女を抱きなおした。

「ですが、もう逃げたりしません。だからレムリア、もう一度ここで僕に約束させてください」

 ロッドの声から翳(かげ)りが消え、凛と通るものになる。
「僕はこのさきずっと、命が終わる時まで、貴女を忘れずに想い続けます」
 その言葉は、かつて無いほど、強い響きをもっていた。
 レムリアは嬉しさと驚きに目を見開き、ロッドの顔を見つめた。
 真摯(しんし)な眼差しとぶつかり、彼が心の底から言っているのだと、一目でわかる。

「…約束してね」

 いつの間にかレムリアの口から、その言葉が落ちていた。
 ロッドの表情が、ふと和らいだ。
「それと、レムリア。昔に言い忘れていた事が一つ」
「なに?」
 訊ねたすぐあとに、柔らかで温かいものが瞼(まぶた)に触れるのを、レムリアは感じた。
 それがロッドの唇だとわかるのに、そう時間はかからなかった。
「ロッ…」
「貴女が好きです」
 何かを言い募ろうとしたレムリアを、ロッドの告白がさえぎる。
 レムリアは、静寂が訪れ、時の流れが止まったように感じた。
 ロッドの言葉がその刹那に、彼女から彼以外の世界を奪ったのだった。
 ロッドはほろ苦く微笑んで、もう一度、レムリアの瞼に口付ける。
 今度こそレムリアは、それを充分に受けとめた。

「貴女から告白されて、その時に返さなくて、結局そのままになってしまって、ずっと後悔していたのです。
 今ようやく、言えました」
「…てっきり振られたのかと思ってたわ」
「遅くなって、すみません」
「うん。でもうれしいから、いいの。最後の最後で、こんなに良いことが待っていたなんて、
 …夢の終わり方としてはとても素敵よね」

 レムリアの言葉尻には、寂しさが滲み出ていた。
 夢の終わり。それが意味するところを悟り、ロッドは唇を噛み締めた。
 今日の日没で、神がレムリアに与えた期限が切れるのだ。
 そうすればレムリアの魂は神のふところへ帰り、記憶も何も持たないまっさらな状態になって、再び生を受ける日を待つことになるだろう。
「…レムリア」
 彼女の存在を確かめるように、ロッドは名を呼んだ。
「貴女が生まれ変わって、僕のことを忘れてしまっても、ずっと貴女を…貴女の魂の行く末を、見守っていたい」
「ロッド、ありがとう…」
 レムリアの胸のうちに、嬉しさが満ちていく。
 しかしそれは、どうしようもない切なさへと変わっていった。
 レムリアは、ともすれば漏れそうになる嗚咽を、懸命に堪えた。だが、涙は止められずに溢れ出した。

「…でも、ごめんね。それは無理よ」
「え…?」

 ロッドの顔色が、暮雨のなかでもわかるほどに、青ざめる。
「だってね」
 レムリアはその時、不思議と心が凪いで行くのを感じた。終わりの時が来てしまったのだと知る。
 彼女は、自分でも信じられないくらい、自然に微笑む事が出来た。


「だって、私が契約の対価に差し出したのは――」








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