EDEN ~その雨の向こうがわ~
その雨のむこうがわ -26
リアは、街道を抜けて街の外へ出ていた。
後ろは振り返らなかった。色や実体を失い、消えていく世界を見るのが辛いのだ。
雨で、道のあちこちに水溜りが出来ていた。歩いていく内に、その一つに映った自分の姿に、目が止まった。
彼女の、女性らしい柔らかな体の線が、濡れて張りついてくる服越しにもわかる。
後頭部で一つに括った髪型は、快活な印象を与えるものだ。しかし、その表情は、いつに無いほど沈んでいた。
「…もう、終わりなのよね…?」
自分に言い聞かせるように、リアは口に出して言う。だが、諦めるには程遠い気持ちだった。
一年間。それが、神との契約で得たリミットだった。
その間に、ロッドにレムリアを思い出させる事が、彼女の目的であり、望みだった。
それを叶えるために、リアはロッドと時を共にした。
時間の長さで言うのなら、レムリアよりも長く、彼と一緒にいたことになるだろう。
それでも、七年の間にはぐくんだものを取り返す事は、出来なかったのだ。
そう思うと、リアはどうしようもなく苦しくなった。――この一年間が楽しかったからこそ、尚更に。
ロッドの記憶の空白を埋めるのは、「リア」ではなく「レムリア」でなければならないのだ。それが、彼女を苦しめていた。
リアは水溜りから目をそむけ、また歩き出した。
一歩進み、雨に打たれるたびに、自分の存在が消えていく。
錯覚だとは言い切れないその感覚に怯えながら、それでも彼女は歩き続けた。
「レムリア」が死ぬときも、こうして歩いていた。
今のリアと同じように、自分を捕らえようとする死の気配に怯えながら、しかし、愛しい人に会いたいという強い気持ちを持って進んだ。だが、衰弱しきった身体は、その想いを裏切った。
四肢が冷え、呼吸が苦しくなり、意識が薄れゆく中で、「レムリア」は言った。
『……最後くらいは、貴方と…一緒にいたかった…』
今すぐには、その言葉はロッドに伝わらない。しかし彼が「レムリア」の物語を読んだ時、伝わる。
彼女はそこに希望を託したのだった。
「…本当に、今日が最後の最後なのに」
嗚咽混じりに、リアは呟いた。
これで自分は、世界から消えてしまう。愛しい人から、その存在を忘れられたまま。
「忘れないって、言ってくれたじゃないの。ロッド…」
届かない非難の声は、行き場を失い、地に落ちる。
以前は待ち望んでいたはずの雨は、今は、夢の終焉を告げる残酷なものだった。
◇
ロッドは雨の中を走り続けた。
目に見える世界はほとんど雨に溶け、残っているのは、彼が今走っている街道くらいだった。
しかし、それとていつまで存在しているかわからない。
真っ白な荒野が広がっていく。
もしかして、リアの存在までもすでに失われてしまっているのではないか。
ロッドは頭を振り、一瞬浮かんだその考えを断ち切ろうとした。
最高神とリアの交わした契約によれば、彼女の命は今日の日暮れまでだ。
白く染まった空ではわからないが、日が完全に落ちきるまで、もう少しの時間は残されている。
街の外に出た。それは視覚の情報ではなく、感覚だった。
途端、ロッドは眩暈(めまい)に襲われた。
白くなりかけた世界が、残っていた色を巻き込み、歪み渦巻く。
それが収まったとき、全く違う景色が広がっていた。
そこは、綺麗にならされた街道ではなく、丈の低い草花が茂る地面だった。
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背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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