EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -20







 雨が止み、千切れた雲の隙間から、淡い光が差し込んだ。
 空はまだ、けぶっている。そこに、虹が鮮やかに滲んでいた。
 雨にぬれた草の上を、ロッドと女性は、二人で歩いていく。まわりは開けた野原で、人が歩く事で自然に出来たらしい道が、一本通っているだけだった。
 道の先には杉林があり、それを抜けた先に、自分の住む村があると、彼女は言った。
「ロッドが、図書館のある場所から出られるなんて、知らなかったわ」 
「普段は、神様の許しが無いと出られませんよ。虹の出た時は特別なのです。虹にまつわる逸話の一つに、異界に繋がる橋というものがありましてね。それが空に現れた日には、世界同士の境界線が曖昧になったりするのですよ」
「じゃあ、私が図書館に行けていたというのも、その境界線がしっかりしてなかったからなのね」
「僕が今日、貴女の住む世界へ渡れたことも。…でも、どうして急に、一緒にここへ来ようと?」
「…うん」
 足を止めて、彼女は空を見上げた。
風が、雨の気配と雲を、散らしていく。

「    」

 光の中に彼女が溶けてしまいそうな気がして、ロッドは思わず名を呼んでいた。
「…ここはね、私が図書館から、こっちに戻ってくる場所なの。いつも、知らない内に戻ってきていて、それで夢じゃないかって思って、後ろを振り返るのよ。でも、振り返った先には、図書館と博物館の建物も無くて、ロッドもランダさんもいないの。目に見える証拠が、…何も無いの」
 彼女が振り返る。
 栗色の髪が揺れ、薄緑のワンピースの裾が翻った。
 薄紅色の唇が、控えめに、言葉を紡ぐ。
「他に何もいらないのよ。ただ…、貴方とここにいたっていう証が欲しいだけ」
 そう言って、彼女は微笑んだ。
「ロッドが私と一緒に、私の住んでいる世界に立ってくれたって事が、私の中で証になるのよ」
 流されてきた雲が、少しの間、光を遮る。
 野原に影が落ち、その中に、二人の影も呑まれた。
「…では、次からこうしませんか?」 
 ロッドは、考えたあと、切り出した。
「貴女が図書館へ来たら、次に虹が出た時は、僕がここへ来る。僕がここへ来たら、その次は、貴女が図書館へ来る。つまり、交替でお互いの世界を行き来するのです。そうしたら、僕にとっては貴女がいたという証明になり、貴女にとっては僕がいたという証明になる。いかがです?」
 雲が退けかけ、再び日が差し始める。野原に落ちる二人の影が、それとともに濃くなりだした。
「素敵な考えね」
 女性は、ロッドにそっと身を寄せる。手を握ろうとすると、ロッドの手が先に彼女の手を包んだ。
「約束しましょうか、今言った事を」
「虹の下で約束?」
「はい。今度は貴女が来てくれるのを、楽しみに待っていますからね」
「…ありがとう、ロッド」
 彼女は、一度笑って、俯いた。
 止んだ雨の代わりに、彼女の涙が、地面に落ちていった。
「…私のこと、忘れないでね。これも約束」
 ロッドは眉根を寄せて、顔をあげようとしない彼女を見つめた。
 握った手から、震えが伝わってくる。
 彼女が何かを恐れているのだと思った。








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 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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