EDEN ~その雨の向こうがわ~


その雨のむこうがわ -14







「虹のお話?」
「ええ」
 頷くと、ロッドは記憶を手繰った。
「虹は、雨が降っても毎回出るというわけではないでしょう? あれはね、神様が出すかどうかを決めるのです」
「お天気がどう、ってわけじゃないのね」
「…虹の出る雨は、神様の御意志ですからね。リアは、聞いた事がありませんか? 『虹は神との契約の証』だと」
 リアは、驚いたあと、首を横に振った。
「では、知っておくと良いですよ」
 ロッドは彼女に笑いかけると、再び空を見上げる。そして、あたかもそこに文章が書いてあるかのように、朗々と読み上げ始めた。

「雨は神の言葉を綴(つづ)るインク、大地はそれを書きとめる紙、この二つは契約書。雷鳴は神の呼応の声、風は神が意思を伝える声、この二つは神の御心。神との契約を望むものが、この四つを理解する事が出来、なおかつ受け入れる事が出来たのならば、神は承知の証に雲を吹き払い雷雨を遠ざけ、そして光という印章をそのものの前に差し出し、契約の証として、虹を目に焼き付けるだろう」

 厳(おごそ)かな響きを持って、言葉が終わる。この時のロッドは、ながい時を過ごし、膨大な知識を得た賢者だった。
 リアは束の間、声もなく、彼に目を奪われた。そして、ロッドを遠い存在のように感じた。
 ――いや、今更ながら再認識させられたというほうが、正しかった。本来なら、隣に寄り添うはずのなかった存在なのだ。そう思うと、もとから胸のうちにあった苦しさが、急に大きくなった気がした。
「…とはいうものの」
 不意に、ロッドの口調が元に戻る。リアのほうを向いた彼は、見慣れた苦笑を浮かべていた。
「神様から契約を持ちかけるなんて、ほとんどありません。契約者から呼びかけ、願望と、それを叶えるための対価などを提示し、神様がそれをよしとしたならば、雨が降り虹が出るのが、基本的な形となります。身近なところで言うと…神殿や教会で、神の加護を請うときに、祈りを捧げて、色々お供え物をしたり、歌を捧げたりするでしょう? あれが対価です。そして、その日のうちに、あるいは近日中に雨が降り、虹が出たら、契約成立というわけですよ」
「…対価、やっぱり必要なのね。望みが大きいほど、対価も大きいのかしら」
「もちろん。たまに気まぐれ起こして、対価無しで望みをかなえてくれることもありますけれどね」
 ロッドは、個性豊かな神の面々を思い出して、やや複雑な気分になる。
 彼とランダの姉弟は、最高位の神が直接生み出したために、他の神とは対等の存在として扱われている。しかし二人には、人の望みをかなえる力は、与えられていなかった。
 もしも神の力が己にあったのなら、リアが望んだ日に、雨を降らせ虹をかけただろうに。そんな仮定の話を一瞬でも考えた自分に、ロッドは虚しさをおぼえる。
「…日が傾いてきましたね。そろそろ、夕飯の準備とか始めましょうか」
 得意の作り笑顔をふりまき、彼は先に家の中に入った。今はこれ以上、リアと顔をあわせているのが辛かった。
 虹の語りをして、思い出した事があったせいだった。


 リアは、すぐに家に入らなかった。
 深呼吸をしてから、静かに、足元へ視線を落とす。緑の芝の上にのびる影は、薄日で投影したかのように淡い。
「…ロッド」
 手を握り締める。掴んだものが、どうしようもなくこぼれていってしまうのを、食い止めるかのように。
「早く、思い出して…!」
 切なる想いが胸をひさぐ。
 彼女には、忍び寄る刻限を、ただ祈りながら待つことしか出来なかった。








          ―――次へ




 背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
 URL http://www.yunphoto.net