EDEN ~その雨の向こうがわ~
その雨のむこうがわ -11
しがらみを棄てられたら、あるいは心を棄てられたら。
それは、どんなに楽なことでしょうか。
それが出来ないから、僕は苦しいのです。
◆◇◆
春半ばの今日は、好天に恵まれた。陽は大分高く昇り、気温もあがってきている。
ロッドはキッチンのテーブルに頬杖を付き、思案に耽っていた。
窓辺で、てるてるぼうずが逆さまに吊るされ、時折吹き込む風に揺れる。
ロッドが街に来て、十ヶ月が経っていた。
だが、彼は未だ、夢幻図書館へ戻る方法を見出せずにいる。「レムリア」も、タイトルが戻った事以外、変化は無い。
ロッドは、胸のうちで凝りそうな重い息を、ゆっくりと吐き出す。
このまま、ずっと戻れないのではないかという考えが、頭の中を回っていた。
「…駄目ですね」
自嘲気味に呟き、頭を振る。これ以上、暗い思考にはまりたくなかった。
ロッドは、事態の始まりから順を追って思い出し、整理する事にした。
もしかしたら、図書館に戻るためのヒントを、見落としているかもしれないと思った。
きっかけは、タイトルや内容などが不自然に抜けた本を見つけたことだった。本来ならありえない事態に、姉弟ともに、ひどく狼狽した。
そこにリアが現れ、不可思議な本のタイトルを「レムリア」だと言い当てる。
そして、本のタイトルはきちんと記された。
その後だ。
ロッドは突然意識が遠のき、気付くとリアの住む街へ居た。彼女は、彼と一緒に住むと言い出し、彼は戸惑いながら、それに従った。
二人で暮らしている間、ロッドは何度か妙な感覚を味わった。
リア自身を、あるいはリアの言動や行動を、どこかで見たような、また聞いたような気がする事があるのだ。しかし、それはわずかな間に消え去り、具体的に掴む事が出来ていない。
それよりも気になるのは、やはり「レムリア」の事だった。
振り返って考えると、あの本のタイトルが復活した事が、突然の空間移動の起因だったように思う。
だとしたら、本の内容が全て蘇えれば、夢幻図書館に戻る事が出来るのではないか。
そうだとして、ロッドには、内容を復活させる術がわからなかった。それを知るためには、まず何故内容が消えてしまったのかを把握する必要がある。
(でも、どうやったら…)
そこまで考えてから、ロッドは、冬場にリアが、雨降りの中で庭へとび出した事を思い出した。
日は疾うに落ちて、虹など出ないはずなのに、彼女は必死にそれを探していた。
無理に中断させて家の中に入れた後、しばらく別人のように消沈し、儚げな様を見せるほどに。
あの日のほかにも、雨が降った時はあった。しかしリアは、あの冬の日だけ、虹を探す事に異様に拘ったのだ。
(…あの日、雨が降ったことに、何か意味がある…?)
直感で思った事が、頭の奥にあるものと符合し、確信へと変わる。
その時。
「ロッド! ちょっとカメラ持って庭に来てーっ」
計ったかのような間合で、花の手入れをしに庭に出ていたリアから、声がかかった。
とてもはしゃいだふうな声だ。
何か良い事でもあったのだろう。
ロッドは淡く笑って、彼女の言うとおりにした。
リアは、庭の花壇の前にしゃがみ込んで、実に嬉しそうに頬を緩ませていた。
花壇では、藍色の花が幾つも風に揺られている。
ロッドは彼女の隣に立ち、腰を折って、カメラを差し出した。
「はい、リア。持ってきましたよ」
「ありがとう、ロッド」
カメラを受け取ったリアは、藍色の花に向かって、まず一枚シャッターを切った。
出てきた紙を空気にさらすと、徐々に色がにじみ出て、やがて一枚の写真となる。
「ワスレナグサが咲いたの! 去年ロッドが貰ってきた種から育てたのよ」
「ああ、そういえば、そんなこともありましたねぇ」
予定量の二倍の荷物を抱えて帰る羽目になった日の事を思い出し、ロッドは思わず苦笑してしまう。
「そんなこともありましたねぇって、そんなふうに言わないでちょうだい。あの日があったから、この花が咲いてるんだもの。しっかりと、憶えていて」
「わかっています。忘れてなんて、いませんよ」
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背景画像写真:Photo by (c)Tomo.Yun
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