神玉遊戯
 ――香の剣―― 壱






 紫(ゆかり)の一族は、はるか昔からこの国を霊的に守ってきた祭祀者の血族だ。
 その歴史は、神代にも遡ると言われるほど古く、血筋は天津神の後裔より続くとも言われる。
 一族の中でも力の強い術者は、契約により一柱の神を配下に置き、その神力を揮うことができた。
 その一族の総本家現当主は、名を明敏(あきとし)という。
 実力は当代随一と噂され、弱冠十七歳ながら、雷と炎を操る龍の女神を従えていた。


 葉桜の色が深まった頃の夜だった。
 日差しが絶えてしまうと、吹く風はまだ涼しいことに気付く。
 明敏は、ふと、文机から顔を上げた。
 庭の木々が、梢を揺らしてさんざめいている。
 その音は、季節の変わり目を言祝(ことほ)ぐ歌なのだと、幼いころに教えられた。
 桜の季節が過ぎ、もうすぐ藤が咲く。藤がその花を散らすと、次は雨の中に紫陽花が開く。梅雨で水気を蓄えた空は、一気に夏へ向かうはずだ。
 例年ならば、力強い季節の端が、そろそろ覗ける頃だった。
 しかし、今年の歌は、少し活力に欠ける。
「……?」
 風が呼んだ気がした。
 否。呼んだのは、風ではない。それに乗ってやってくるはずの、ほかの何か。
 書きかけの霊符と筆を置き、庭に出た。
 途端に、強い風が吹き付けてくる。木々が大きくざわめく。
 思わず、両腕で顔を庇う。
 風が冷たい。春の初めに戻ってしまったかのようだった。

 …… て、わたし の こう…っ!

 風に紛れて聞こえた、掻き消えそうな声。
 そして、それよりも微弱な香り。
「……菖蒲(しょうぶ)の、香神(こうじん)か」
 明敏が呟くと、風は使命を果たしたかのように、ぱたりと止んでしまう。
 あれが、最後のひと吹き。自分に伝えるために、振り絞った力だったのだろう。
「……夏を迎える前に、ひと仕事ありそうだ」
 赤色の強い瞳を、すいと細める。
 風の絶えた晩春の夜は、妙に生ぬるい。